10/28(月)コンペティション『チャオ・イェンの思い』上映後に、ミディ・ジー監督(監督/脚本/編集)、チャオ・リーインさん(俳優)、ジョウ・ユアンさん(エグゼクティブ・プロデューサー)をお迎えし、Q&Aが行われました。
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ミディ・ジー監督(以下、監督):皆さん、今日はこの場に映画を観に来てくださって本当にありがとうございます。監督のミディ・ジーです。よろしくお願いします。
チャオ・リーインさん:この映画の主演のチャオ・リーインです。皆さん、こんばんは。
ジョウ・ユアンさん:皆さん、こんばんは。エグゼクティブ・プロデューサーのジョウ・ユアンです。今日は、私たちの『チャオ・イェンの思い』のインターナショナルプレミアにお越し頂きまして、本当にありがとうございます。
司会:市山尚三プログラミングディレクター(以下、市山PD):この作品は、数日前に中国で公開が始まり、大ヒットしていると聞いております。おめでとうございます。
監督 :ありがとうございます。
市山PD:はじめに、この映画の制作のきっかけを伺いたいと思います。監督はミャンマー出身で、ミャンマーを舞台にドキュメンタリーや劇映画を撮り、台湾でも『ニーナ・ウー(原題:灼人秘密)』という素晴らしい作品を撮られました。そして、今回初めて中国大陸で映画を撮影されたということですが、どのようなきっかけでこの映画を撮ることになったのか、お伺いしたいと思います。
監督:この作品は、ジャン・ユエランさんの「大喬小喬」という小説を原作にしたものです。そして、この小説を読んで、 現代に生きる女性のその悩みや置かれている状況に強く惹かれるようになりました。それは、私が、女性の力が強い家庭で育ってきたということと大きな関係があると思います。
まず、私の母は喧嘩がすごく上手で、お金のことや仕事を、全て母が引き受けていたような、とても強い女性 でした。また、その次は1番上の姉がそうした母の役割を引き受けており、同じように強い女性でした。このように、自分の育った環境が、そうした強い女性に囲まれた環境だったということと関係があります。
2つ目は、 やはり私のこれまでの半生と大きく関わっていると思います。この映画において、原作にはない部分は、私の人生経験の部分を盛り込んで 描きました。例えば、私はミャンマーから都市へ出て行って生活するようになりましたが、同じようにチャオ・イェンも雲南省から都会に出ていき、一生懸命頑張ります。自分が、都会の中では、外からやってきた異邦人のような存在だという意識を常に強く持っていたことを作品にも盛り込みました。
──Q:車を運転する、あるシーンでは、チャオ・イェンが笑みを浮かべているように見えました。あの微笑みにはどのような意味があるのでしょうか。
チャオ・リーインさん:そうですね、自分が本当に行いたかったことを自分ができた、とても主体的なことをやり遂げたという意味での、会心の笑みだったと思います。
──Q:それは、チャオ・イェンが作中で常に言っていたことが、実現したということでしょうか。
監督:ここで、私もその議論に加わらせていただきましょうか。
あの微笑みは、先ほどチャオさんがお話しされたように、自分の主体性を持って自由を手にしたような、そうした思いが微笑みに溢れているのだと捉えていました。その思いとは、 劇中で彼女が語る、自分になるという意味があり、そうした微笑みだと思います。
──Q:作品で描かれているようなことは、 監督やチャオさんの身の回りで実際に起こったことなのでしょうか。
監督:その件について私がお答えします。この映画は、全くのフィクションです(笑)。ドキュメンタリーではないので、その点はご理解ください。
ただ、もし皆さんがリアルだと感じたならば、役者陣が素晴らしい演技をしてくれたという意味ですよね(会場拍手)。私が映画制作に携わるなかで1番大事だと思うのは、もちろん、美術やそのほか様々な技術スタッフの存在もありますが、監督でさえもそんなに重要ではないと思っています。皆さんに本当に素晴らしいと思ってもらうのであれば、最終的には、役者さんの演技が大事だと思います。
もう1つは、この映画を劇的なものに作り上げていく必要性があり、そのため、こうした脚本の展開になっているのです。先ほど質問に上がったシーンでは、チャオ・イェンという女優の伝説的な雰囲気を出すために、あのような演出が必要でした。また、ある方からあのような羞恥、待遇を受けるということも、それはドラマツルギーとして必要でした。
最後に改めて申し上げたいのですが、今この世界のなかで女性が働く場では、女性たちが直面する困難が現実として数多く存在していると思います。この作品では、そうしたことを描こうと思いました。
チャオ・イェンは、この物語の中では役者で、しかもスター女優という存在ではありますが、私にとって、彼女が象徴しているのは、今ある現実の中で一生懸命戦おうとし、様々な場所で活躍している女性の姿です。例えば、私の母であったり姉であったり、そうした女性の姿、その象徴だと受け取ってとっていただきたいと思っています。