10/30(水) 黒澤 明の愛した映画『童年往事 時の流れ』上映後に、宇田川幸洋さん(映画評論家/映画監督)をお迎えし、トークショーが行われました。
島 敏光 東京国際映画祭 黒澤明賞コーディネーター(以下、島コーディネーター):ようこそおいでいただきました。
まず、黒澤明賞がここ数年で復活しましが、これに関して、黒澤プロダクションからのメッセージをお伝えします。黒澤明賞が復活したのはありがたく思います。黒澤 明監督の「良い映画というものは、新しい古いに関わらず、やはり多くの人に観ていただきたい」という思いから、そうした本当に素晴らしいと思える映画、黒澤 明が愛した映画、あるいは黒澤 明が本当に信頼していた監督の作品等をみなさまに観ていただきたく、この企画が立ち上がりました。今年も5本の作品が上映され、そのうちの1本がこの『童年往事 時の流れ』でございます。
それでは早速トークショーを始めます。ゲストは、映画評論家/監督で、香港映画、中国映画、台湾映画に精通する、宇田川幸洋さんです。一言ご挨拶をお願いいたします。
宇田川幸洋さん(以下、宇田川さん):宇田川と申します。映画評論を書いております。 ホウ・シャオシェン監督の作品は大好きで、ほとんど観ていると思います。
島コーディネーター:ホウ監督の話ですが、『冬冬(トントン)の夏休み』や、『悲情城市』などは、すっかり映画ファンにはおなじみの作品ですが、宇田川さんはいつ頃からホウ監督の作品をご覧になったのですか。
宇田川さん:多分、この『童年往事 時の流れ』からかもしれないですね。 この作品は、日本で公開されたのは1988年ですが、その前年に、 ぴあフィルムフェスティバルで『阿孝(アハ)の世界』という邦題で一度映画祭上映しているんですね。
島コーディネーター:異なるタイトルで上映されているということでしょうか?
宇田川さん:そうです。ただ、劇場で正式公開された時には、この『童年往事 時の流れ』という現在の邦題で上映したので、これが劇場公開されたものとしては最初なんです。
島コーディネーター:そして、この作品で描かれているのは1947年あたりの時代ですね。
宇田川さん:はい。ホウ監督が生まれた1947年頃です。そして、生まれてすぐに、家族と一緒に中国大陸の広東省から台湾に移ってきたと最初のナレーションで言っていますよね。
島コーディネーター:最初のナレーションで言ってる、あのナレーションというのは、、
宇田川さん:多分、ホウ・シャオシェン監督自身が喋っているのだと思います。今まで気にしていなかったのですが、今日久しぶりに見たら、 ホウさんの声だと思いました。
島コーディネーター:ということは、もうホウ・シャオシェン監督にお会いになったことがあるんですか?
宇田川さん:何度も会っています。
島コーディネーター:ホウ監督はどのような方ですか?
宇田川さん:最初に会った時は、ホウ監督は40歳ぐらいだったんですかね。なんか喧嘩が強そうな人だなと思いました(笑)
島コーディネーター:喧嘩が強そうな人ですか?
宇田川さん:ホウ監督の少年時代は、この映画でも描かれてますけども、喧嘩に明け暮れるような日々があったということを聞いて、その名残りが少しありましたよね。身のこなしが素早いというか、猫のようにパッと動いて 1発喰らわせるみたいな(笑)。そうした感じがありました。実際にしているのは見たことはないですが(笑)。
島コーディネーター:映画を観る限りでは、おとなしい映像という印象を受けます。黒澤監督は、ホウ監督のことが大好きで、自分の弟のような存在だと言っていましたが、黒澤さんとの共通点というか、何かあるんですかね?
宇田川さん:黒澤さんが84歳でホウ監督が47歳の時には、雑誌の対談で会ったと聞いています。
島コーディネーター:よくお話していましたよね。
宇田川さん:この映画の脚本家で、女性小説家のチュー・ティエンウェンさんが書いた『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』という2021年に出版された本に、その時のことが書いてあります。黒澤さんは、対談の前にホウ監督の作品を4本観ていたそうです。それで非常に話が合い、黒澤さんのご自宅で5時間くらい話した、ということが書いてありますね。
島コーディネーター:宇田川さんとホウさんとの繋がりは、映画スクリプターの野上照代さん経由ですか?
宇田川さん:僕は、野上照代さんより先にホウ監督と知り合ったと思います。野上さんは非常にホウ・シャオシェンと仲が良かったですね。
多分、ホウ監督の『恋恋風塵』という映画を輸入してからずっとフランス映画社がホウ監督の作品を仕入れており、副社長だった川喜多和子さんと野上さんが、非常に親しい友達でした。
野上さんには、去年も誕生パーティーへ呼んでいただきましたが、かつては、川喜多さんの家のパーティーにはホウ監督も来ていました。宣伝キャンペーンなどがあると皆で集まっていて、僕も呼んでいただいていました。そうした関係から、ホウ監督と野上さんも親しくなったのではないかと思います。
島コーディネーター:映画の話に戻りますが、この映画は、ホウ監督のほとんど自伝ですよね。 その後、いくつか映画を製作していらっしゃいますが、それらはホウ監督の仲間の自伝のような作品ですね。
宇田川さん:『冬冬の夏休み』、つい冬休みと言いたくなりますが(笑)、これはチュー・ティエンウェンさんの子供の頃の話が元になった作品です。そして、その次の『恋々風塵』は、以降ホウ監督とはずっと組む、脚本家の ウー・ニェンチェンさんの自伝的な話だそうです。また少し後の『戯夢人生』は、ホウ監督作品によく出ていた指人形使いの名人 のリー・ティエンルーさんの伝記です。これらは、それぞれ仲間内の話を描いています。
島コーディネーター:宇田川さんは、この映画をどのようにご覧になりましたか?
宇田川さん:少しですが、今日久しぶりに観て、 「やはりいいな」と思いました。
昨今、大体新人監督がデビューする際、自分の話を物語として描いてデビューするケースがすごく多い気がしています。その場合、自分で脚本書き自分で監督もすると、主観的になりすぎて失敗するケースも少なくないと思います。
その点、ホウ監督は、チュー・ティエンウェンさんと二人で脚本を書いているので、 彼の体験に客観性が足されたことで、優れた作品になったのだと思います。自分の話なのに、カメラも引いて撮影していますよね。その場の状況に夢中になることなく、自分の辿ってきたことをどこか冷静に、静かに話しているように見えます。
島コーディネーター:現代の人の、一歩引いた客観的に見ているような雰囲気を映画からも感じますよね。
ホウ監督は、名作ぞろいの監督と言われていますが、宇田川さんが、 「これはぜひ観るべきだ」と思うホウ監督作品はありますか?
宇田川さん:『悲情城市』は一般的に名作と言われていますよね。黒澤さんは『戯夢人生』も好きだったと伺いました。最後のホウ監督作品の『黒衣の刺客』も、美しく、きれいな時代劇といった雰囲気で好きです。
島コーディネーター:そして、今年度の黒澤 明賞の受賞者は、三宅唱監督とフー・ティエンユー監督です。フー監督はホウ監督との関わりが非常に強いと伺っています。
宇田川さん:そうですね。先ほど話題に上がった、脚本家のウー・ニェンチェンがフー・ティエンユーさんの師匠で、『本日公休』というフーさんが書いた作品にもアドバイスしているらしいので、ホウ世代からの繋がりは あると思います。『本日公休』のクレジットで流れる主題歌は、ウー・ニェンチェンさんの作詞でとても素敵なんですよね。
島コーディネーター:そうなんですか。
宇田川さん:床屋さんに来た客が、店の人に、「いつも通りにしますか。はい、いつも通りで」と言われるような場面から始まる、すごく感じのいい曲なんです。
ウー・ニェンチェンさんは、小説家から始まり、脚本も書き、作詞もしていて、 最近は台湾で、テレビのタレントとしても活躍してるらしいんです。
島コーディネーター:そうなんですね。『本日公休』は、すこし前に日本で公開したようですが、まだギリギリ上映中なんですね。
宇田川さん:まだ上映している映画館はあります。1日1回の上映になっているかもしれないですが、まだ上映しています。 非常にいい映画です。
島コーディネーター:最近の日本映画は、名作も多いですが、コロナウイルスの影響や、大震災が起きたこともあり、作品の良し悪しに関わらず、観ていて辛い気持ちになるような映画が多い気がしています。比べると、こうした台湾映画は観ていて、良い気持ちになれる映画ですね。
宇田川さん:久しぶりにちゃんとした床屋に行ってみようという気になるんじゃないですかね(笑)
島コーディネーター:この度、黒澤賞をフー・ティエンユーさんが受賞することになったのは、黒澤監督がきっと好きであろう作品として、審査員の皆さんと選びました。もし黒澤監督がこの映画を観たら、どう仰ると思いますか。
宇田川さん:なんて言いますかねぇ。 黒澤監督は、色々な映画をご覧になっていましたよね。ホウ監督も含め、小津安二郎監督のことも尊敬してるって仰っていました。
島コーディネーター:アッバス・キアロスタミ監督の作品も大好きでしたね。
宇田川さん:作風とはまた違う作品を鑑賞するのがお好きだったようで、映画監督としてはもちろん、映画を観る者としても巧者だと思います。そうした意味では、『本日公休』は、台湾に生きる人の人情のようなものが、とてもよく描けているので、黒澤監督もきっとお気に召したのではないかと思います。
島コーディネーター:黒澤明監督とホウ監督の話に戻すと、二人の共通点を感じることもありますが、『童年往時 時の流れ』は、カメラワークなどが、小津監督の作品に近しいと感じることも多いですね。
宇田川さん:そうですね。『童年往時 時の流れ』が日本公開された時には、小津との比較をする方が非常に多かったです。それは、映画の静かな淡々とした調子がそう見せるんだと思います。 ただ、特にホウ監督が小津監督の影響を受けたということは聞いてはいないんです。作品は観たようですが。
島コーディネーター:ホウ監督がデビューした頃は、小津監督のことを、あまりよく知らなかったようですね。
宇田川さん:はい。台湾ニューウェーブの時代の監督は、アメリカで勉強したエドワード・ヤン監督をはじめ、映画を専門に勉強して、外国の大学や映画学校で勉強してきた人たちばかりだったのですが、ホウ監督だけは、台湾の映画産業で助監督から叩き上げて、監督として3作品ほど制作もしていたんです。そこからニューウェーブの流れになり、勉強し始めたのだと思います。
島コーディネーター:では、小津監督や黒澤監督に関しては、むしろある程度名前が出るようになった頃に勉強し始めたという感じなのですね。
宇田川さん:そうです。ジャン=リュック・ゴダール監督の作品などもその頃に観て、「編集ってこんなに自由でいいんだ」ということを学んだと言っていました。
島コーディネーター:なるほど。
宇田川さん:ホウ監督は、子供の頃は日本のチャンバラ映画が好きだったようで、小澤茂弘監督の『三日月童子』という三部作の東映作品が好きだと話していました。日本人も忘れているような作品なのですが。
島コーディネーター:そうしたことはありますよね。海外の方が、私たちが全然知らないような作品を観ていたり。
ホウ監督とお会いして、印象に残ったことなどはありますか。
宇田川さん:『童年往時 時の流れ』でも、町の真ん中に大きな木が出てきますよね。皆が集まるような。
島コーディネーター:象徴的に何度も出てきますね。
宇田川さん:ええ、あの人、ああいう木が好きなんです。
島コーディネーター:木が好きなんですか。
宇田川さん:ええ、古い大きな木が好きで。
福岡で2010年に福岡文化賞を、彼とアン・ホイさんが同時に受賞した際に、太宰府天満宮に行ったことがあったんです。
島コーディネーター:はい。
宇田川さん:そのとき、太宰府天満宮に、何百年も 樹齢があるような大木があり、その木はまっすぐじゃなくて、横に伸びていて綺麗な苔がむしていたんですね。その木がとても気に入ったようで、ずっと見ていましたね。
島コーディネーター: 黒澤監督は僕のおじなのですが、狛江に住んでいたときに、大きな中庭のある家で、そこのど真ん中に大きな柿の木があったんです。その木にたくさんの柿が実ると、その実を食べにオナガという鳥が集まってくるんですが、黒澤監督も、その木が多分好きだったんでしょうね。時々縁側に座って、じっと木を見つめたりしていましたね。
宇田川さんそうしたところは、共通点かなと…
島コーディネーター:強引ですが、共通点かもしれないですね。