場内を大いに盛り上げた入江悠監督、奥野瑛太、水澤紳吾、上鈴木伯周、上鈴木タカヒロ
第37回東京国際映画祭Nippon Cinema Now部門のプログラム「監督特集:入江悠」の上映作品『
SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』が11月4日、TOHOシネマズシャンテで上映された。映画上映後のQ&Aには入江悠監督、奥野瑛太(MCマイティ役)、水澤紳吾(MCトム役)、そして劇中のラップを監修した上鈴木伯周(DJ T.K.Dことタケダ先輩役としても出演)と上鈴木タカヒロも来場した。
レコード屋もライブハウスもない田舎町を舞台に、ラッパーを目指す若者たちの奮闘を描いて、ロングランヒットを記録した青春映画『
SR サイタマノラッパー』。栃木県を舞台とした本作は、北関東三部作の最終章となる。仲間と別れ東京に出たマイティだったが、東京でトラブルに巻き込まれ、栃木に逃亡。盗難車の転売など違法行為で商売するグループの一員として働き始めるも、そのグループが開いた詐欺まがいの音楽イベントでかつての仲間のイックとトムと再会するが……という物語だ。
どこかほのぼのとしたテイストがあったシリーズ第1作、第2作に比べて、第3作はハードで重い展開の物語となった。その理由について質問された入江監督は、「このシリーズはその時の自分の心情を投影してつくっているところがあります。1作目をつくった頃の日本社会はどこかのんびりしたところがあったんですけど、3をつくった頃は震災もありましたし、かなり(世相が)変わったところもあったので。そこの気持ちを反映したところがあります。それと1と2でやったことを3で繰り返してもしょうがないので、ハードな方に舵を切ったということもあります」と明かす。
一方の奥野は「3を撮るとなったときに、入江さんからは1と2とは違う雰囲気の、『闇金ウシジマくん』みたいなテイストにしたいと。マイティはそっちの雰囲気担当だからと言われた。ただし、1と2を通じて、イック(駒木根隆介)とトム(水澤)が次第に(狂言回し的な)妖精化していったので。だから東京でのヒップホップシーンに出たマイティがうだつの上がらない状態でいる、というのは(前作からの)地続きで描いてくれているんですけど、物語としては違う感じでした」と振り返ると、上鈴木伯周も「(トムとイックとマイティが組んでいた)SHO-GUNGが出てくるとホッとしますからね」とその意見に同意した。
本作のクライマックスとなる野外フェスシーンは、埼玉県深谷市で3日間のべ2000人近いエキストラを集め撮影を敢行。インディペンデント映画として最大規模の撮影を成功させたことも当時、語り草となった。入江監督が「まだ自主映画というのがあったので、セットをつくる前から(主役の)奥野くんにあの場所を歩いてもらったり、動線を確認してもらった。それでこのくらいの距離でたどり着けるから、こういう曲にしようか、ということも考えることができた。まったくの更地からセットをつくっていけたので。そういう意味では幸せな環境でしたね」と振り返ると、奥野も「ほかの現場と違って、フェスの足場を自分たちで組んだり、ボランティアの方も草を刈ったりと手伝ってくれた。だからいざ本番となると、役柄とはまた違った感情が生まれてきた」としみじみ。水澤も「やはり入江さんの『サイタマノラッパー』では舞台挨拶などでも長い間、みんながほぼ一緒にいたので。個人的な感情が高まってしまいましたね」と続けた。
2012年の本作公開前に奥野は、本作の宣伝方法をめぐって入江悠監督らスタッフやキャスト陣と対立。お互いに観客に映画を観てもらいたいという思いは同じだったものの、SNS上で激しい言葉を投げつけ合ったことで『SR』ファンをやきもきさせたこともあった。上鈴木タカヒロが「知ってる人もいると思いますけど、僕らは奥野くんと仲違いをして。ひとりで全国をまわれと突き放したんだよね。ひとりで地方の映画館に行って、プロモーションをして、ということもあって。スクリーンの中の役柄と、役者本人が混ざる感じがあった」と述懐。その言葉通り、当時の奥野は全国の劇場をひとりでまわって宣伝活動を実施。最終的に両者が和解することとなり、劇場でも満席の回が出るヒットを記録した。
そんなインディーズ魂ともいうべき熱い思いが詰まった本作だが、その後の入江監督が『22年目の告白』や『AI崩壊』といった大作や、『ビジランテ』『あんのこと』といった小規模な映画という、両軸で活躍するような監督となる、というのは周知の通りだ。観客からは「あの時の入江さんじゃないとできなかったなということは?」という質問が投げかけられると、「映画が公開した当時の「映画芸術」という雑誌に脚本家の向井康介さんが映画評を書いてくださって。まさに今の話にあったフェスのシーンでのワンシーンワンカットが息切れしていると指摘されたんです。熱量はあるんだけど、技術的に追いついていなくて、間延びしているところがあると。それを読んで、やっぱりプロはすごいなと思った。僕らはボランティアスタッフと一緒にセットを組み立てて、オッケーが出たという感動を経ているけど、それは観客には関係なくて。ワンカットでも、ここは息切れしているという指摘があった」と述懐する。
その指摘に思うところがあったという入江監督は「だから僕は、これを青春の最後の思い出にして。つぎの技術を学ぶ過程にいかないといけないなと思ったんです。逆に言うと、商業をやっていると、主役俳優と一緒にまっさらなセットを歩くなんてことはできない。でもそれを『サイタマノラッパー3』ではやり遂げることができた。その2つのことをどう組み合わせていくか、というのが僕の今後の課題ですね」と語る。
そんな流れで最後は登壇者たちで即興ラップを披露することに。ビートボックスのリズムに合わせながら「どの街に行っても悪戦苦闘しながらPR活動してきた、SRサイタマノラッパー。もうこんなことしたくねぇなと思いながらも今だ12年経ってもやってる! いい加減にしろバカヤロー!」と奥野が叫ぶと、そこに水澤が「俺がMCトム、今日の来場、どうもありがとう! キープオンムービン! 俺たち動き続ける、それをやってる。生きざま! マイティ、マイクをつなげ!」といった感じで続け、さらに奥野が「サイタマ生まれ、ブロ畑育ち。山の幸とは~だいたい友だち!」とマイティならではのブロッコリーを主題としたラップを披露するなど、終始、会場を大いに盛り上げた。
場内を大いに盛り上げた入江悠監督、奥野瑛太、水澤紳吾、上鈴木伯周、上鈴木タカヒロ
第37回東京国際映画祭Nippon Cinema Now部門のプログラム「監督特集:入江悠」の上映作品『
SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』が11月4日、TOHOシネマズシャンテで上映された。映画上映後のQ&Aには入江悠監督、奥野瑛太(MCマイティ役)、水澤紳吾(MCトム役)、そして劇中のラップを監修した上鈴木伯周(DJ T.K.Dことタケダ先輩役としても出演)と上鈴木タカヒロも来場した。
レコード屋もライブハウスもない田舎町を舞台に、ラッパーを目指す若者たちの奮闘を描いて、ロングランヒットを記録した青春映画『
SR サイタマノラッパー』。栃木県を舞台とした本作は、北関東三部作の最終章となる。仲間と別れ東京に出たマイティだったが、東京でトラブルに巻き込まれ、栃木に逃亡。盗難車の転売など違法行為で商売するグループの一員として働き始めるも、そのグループが開いた詐欺まがいの音楽イベントでかつての仲間のイックとトムと再会するが……という物語だ。
どこかほのぼのとしたテイストがあったシリーズ第1作、第2作に比べて、第3作はハードで重い展開の物語となった。その理由について質問された入江監督は、「このシリーズはその時の自分の心情を投影してつくっているところがあります。1作目をつくった頃の日本社会はどこかのんびりしたところがあったんですけど、3をつくった頃は震災もありましたし、かなり(世相が)変わったところもあったので。そこの気持ちを反映したところがあります。それと1と2でやったことを3で繰り返してもしょうがないので、ハードな方に舵を切ったということもあります」と明かす。
一方の奥野は「3を撮るとなったときに、入江さんからは1と2とは違う雰囲気の、『闇金ウシジマくん』みたいなテイストにしたいと。マイティはそっちの雰囲気担当だからと言われた。ただし、1と2を通じて、イック(駒木根隆介)とトム(水澤)が次第に(狂言回し的な)妖精化していったので。だから東京でのヒップホップシーンに出たマイティがうだつの上がらない状態でいる、というのは(前作からの)地続きで描いてくれているんですけど、物語としては違う感じでした」と振り返ると、上鈴木伯周も「(トムとイックとマイティが組んでいた)SHO-GUNGが出てくるとホッとしますからね」とその意見に同意した。
本作のクライマックスとなる野外フェスシーンは、埼玉県深谷市で3日間のべ2000人近いエキストラを集め撮影を敢行。インディペンデント映画として最大規模の撮影を成功させたことも当時、語り草となった。入江監督が「まだ自主映画というのがあったので、セットをつくる前から(主役の)奥野くんにあの場所を歩いてもらったり、動線を確認してもらった。それでこのくらいの距離でたどり着けるから、こういう曲にしようか、ということも考えることができた。まったくの更地からセットをつくっていけたので。そういう意味では幸せな環境でしたね」と振り返ると、奥野も「ほかの現場と違って、フェスの足場を自分たちで組んだり、ボランティアの方も草を刈ったりと手伝ってくれた。だからいざ本番となると、役柄とはまた違った感情が生まれてきた」としみじみ。水澤も「やはり入江さんの『サイタマノラッパー』では舞台挨拶などでも長い間、みんながほぼ一緒にいたので。個人的な感情が高まってしまいましたね」と続けた。
2012年の本作公開前に奥野は、本作の宣伝方法をめぐって入江悠監督らスタッフやキャスト陣と対立。お互いに観客に映画を観てもらいたいという思いは同じだったものの、SNS上で激しい言葉を投げつけ合ったことで『SR』ファンをやきもきさせたこともあった。上鈴木タカヒロが「知ってる人もいると思いますけど、僕らは奥野くんと仲違いをして。ひとりで全国をまわれと突き放したんだよね。ひとりで地方の映画館に行って、プロモーションをして、ということもあって。スクリーンの中の役柄と、役者本人が混ざる感じがあった」と述懐。その言葉通り、当時の奥野は全国の劇場をひとりでまわって宣伝活動を実施。最終的に両者が和解することとなり、劇場でも満席の回が出るヒットを記録した。
そんなインディーズ魂ともいうべき熱い思いが詰まった本作だが、その後の入江監督が『22年目の告白』や『AI崩壊』といった大作や、『ビジランテ』『あんのこと』といった小規模な映画という、両軸で活躍するような監督となる、というのは周知の通りだ。観客からは「あの時の入江さんじゃないとできなかったなということは?」という質問が投げかけられると、「映画が公開した当時の「映画芸術」という雑誌に脚本家の向井康介さんが映画評を書いてくださって。まさに今の話にあったフェスのシーンでのワンシーンワンカットが息切れしていると指摘されたんです。熱量はあるんだけど、技術的に追いついていなくて、間延びしているところがあると。それを読んで、やっぱりプロはすごいなと思った。僕らはボランティアスタッフと一緒にセットを組み立てて、オッケーが出たという感動を経ているけど、それは観客には関係なくて。ワンカットでも、ここは息切れしているという指摘があった」と述懐する。
その指摘に思うところがあったという入江監督は「だから僕は、これを青春の最後の思い出にして。つぎの技術を学ぶ過程にいかないといけないなと思ったんです。逆に言うと、商業をやっていると、主役俳優と一緒にまっさらなセットを歩くなんてことはできない。でもそれを『サイタマノラッパー3』ではやり遂げることができた。その2つのことをどう組み合わせていくか、というのが僕の今後の課題ですね」と語る。
そんな流れで最後は登壇者たちで即興ラップを披露することに。ビートボックスのリズムに合わせながら「どの街に行っても悪戦苦闘しながらPR活動してきた、SRサイタマノラッパー。もうこんなことしたくねぇなと思いながらも今だ12年経ってもやってる! いい加減にしろバカヤロー!」と奥野が叫ぶと、そこに水澤が「俺がMCトム、今日の来場、どうもありがとう! キープオンムービン! 俺たち動き続ける、それをやってる。生きざま! マイティ、マイクをつなげ!」といった感じで続け、さらに奥野が「サイタマ生まれ、ブロ畑育ち。山の幸とは~だいたい友だち!」とマイティならではのブロッコリーを主題としたラップを披露するなど、終始、会場を大いに盛り上げた。