山田洋次監督と小田香監督、『PERFECT DAYS』の脚本を務めた高崎卓馬
第37回東京国際映画祭で11月1日、ハンガリーの映画監督タル・ベーラ氏が“特別功労賞”を受賞したことを記念したシンポジウム「
タル・ベーラ×山田洋次特別鼎談~タル・ベーラ監督TIFF特別功労賞受賞記念~」が東京ミッドタウン日比谷のLEXUS MEETS...で行われた。この日の授与式に参加予定だったタル・ベーラ監督は体調不良のために来日がキャンセルとなったが、山田洋次監督と小田香監督、『PERFECT DAYS』の脚本を務めた高崎卓馬が出席した。
タル・ベーラ監督は、1994年に7時間越えの『サタンタンゴ』が第44回ベルリン国際映画祭フォーラム部門で独創的な作品に贈られるカリガリ賞を受賞。2000年に『ヴェルクマイスター・ハーモニー』が第53回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、11年『ニーチェの馬』で第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をダブル受賞。監督としては同作が最後の作品となり、以降はサラエボに映画学校を創設するなど後進の育成に取り組んでいる。なお『鉱 ARAGANE』『セノーテ』など、独自の映像スタイルで評価されている映像作家・小田香は、13年から16年にかけて、サラエボの映画学校film.factoryでタル・ベーラ監督に師事。この日の功労賞のトロフィーは、タル・ベーラ監督たっての希望により、小田監督に代理授与されることとなった。
司会を務めた市山尚三氏(本映画祭プログラミング・ディレクター)は、1995年の東京国際映画祭で『サタンタンゴ』を上映した時のエピソードを披露。同作が7時間半という上映時間であるために、金曜日の朝から夕方にかけて総客席数が700席以上あるシアターコクーンで上映する、というプログラムを組み、400人程の観客が来場したという。
「平日の昼の上映なのに400人以上来てくださった。半分以上埋まっていたんで、僕としてはよく来てくれたなと思っていたけど、ひとり怒っていたのがタル・ベーラさん。なんで東京にはこんなにも人がいるのに、客席はこんなにもガラガラなんだと。俺の映画は世界のどこに行ってもたいがい満員なのにと怒っていました。しかも翌日の土曜日にはシアターコクーンで香港映画を上映していたんですが、そちらには長い列ができていて。それを見て「I will kill you.」と言われました」と冗談めかして明かすと、会場は大笑い。
その話を笑顔で聞いていた小田監督が「先ほどは楽しい感じで、彼の傲慢さが紹介されていましたが……。もちろん市山さんはご存じかと思いますが、ものすごくあたたかくて、誠実で、チャーミングで、そしてとても強い人」と語ると、深くうなずいた市山氏。「film.factoryのわれわれ一期生は17人。いろんなところから集まりました。ベーラさんのことは尊敬していますが、おのおの違う人格があって。違う映画づくりをすることを大事にしてくれて。彼の映画のまねをすることがあれば、非常に厳しくしかられました。自分たちの言語を見つける時間にしなさい、というのは常々おっしゃっていました」と述懐する。
一方、いろいろな人から「山田監督とタル・ベーラ監督というのは意外な組み合わせ」と指摘されたことを明かした市山氏に、「そうだよね」と笑った山田監督。「僕は映画の作品をはじめる前に、みんなと一緒に参考になる映画を観るということをやっているんですよ。その時に選ぶのは、僕の映画とは一番遠い映画。たとえばタルコフスキーの映画なども観たわけですが、『東京家族』の撮影の時は『ニーチェの馬』を観ようということになって。全スタッフと一緒に試写室で観たわけです。スタッフもみんな感動して。こんな映画があるんだよと言ったら、みんなが深くうなずいていたことを覚えています」。そんなタル・ベーラ監督については、「『ニーチェの馬』で引退したということもあって、僕にとっては不思議な存在」だったという。
タル・ベーラ監督は、今年の2月に福島で行われたワークショップの講師をするために来日。その際に山田監督のたっての希望により、同所で対面することとなった。「ただそのときもかなり身体のコンディションが良くなくて。結局、早めに帰国されたので、ゆっくりお話しする機会がなかった。今度、東京に来る機会にお話しできたらと思っていたけど、また駄目になって。もしここにタル・ベーラさんがいらっしゃったら、彼の作品について、彼の人生について聞きたいことはいろいろとあったんです。もうひとつ、学校についても聞きたかったんです」と、film.factoryについて興味津々。日本人唯一の生徒である小田監督に、根掘り葉掘り質問していた。
「一応、ボスニアの私立の大学院に併設する形で、ベーラさんが大学の方とお話ししてできた学校なんですが。ただわれわれが到着したときは椅子も机もなかった。自分たちで椅子と机を運び込んだりして、少しずつ準備していきました」と振り返った小田監督。タル・ベーラ監督の役割に関しては、「彼の役割は大きくいうと3つあって。ひとつはわれわれ17人と毎日のように個人的な面談をして、あなたの映画づくりをどうするかと話し合うこと。そしてもうひとつはマスタークラス。『ニーチェの馬』とか『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観て、ショットごとに、どうやってショットができたのか、どうやって準備をしたのか、といったことをひとつずつ解説してもらいました。そして3つ目は、彼が信頼している映画監督や技術者、プロデューサーを2週間ごとに呼んできてワークショップを行いました」と説明する。
そのワークショップの講師には、ジム・ジャームッシュ、ガス・バン・サント、ティルダ・スウィントンらも呼ばれていたそうだが、市山氏も招待されたことがあったという。「予算がないと聞いていたので、狭いところに泊まるのかなと思ったら、ものすごい歴史がある高級ホテルの、ものすごく広いスイートルームに泊めてもらった。そこはもてなしだったんだなと思います」
「費用はどれくらいなの?」と質問する山田監督に対し、「われわれはお金がない集団なので学費を払っていなくて、学校が肩代わりしてくれていました。その後は経済的に難しくなってなくなったんですけど、わたしは日本から助成金をもらっていたので、払うことができました」と返答した小田監督。興味深い話の数々に、予定終了時間を超えてしまうほどに熱のこもったトークショーとなった。
第37回東京国際映画祭は、11月6日まで開催。
山田洋次監督と小田香監督、『PERFECT DAYS』の脚本を務めた高崎卓馬
第37回東京国際映画祭で11月1日、ハンガリーの映画監督タル・ベーラ氏が“特別功労賞”を受賞したことを記念したシンポジウム「
タル・ベーラ×山田洋次特別鼎談~タル・ベーラ監督TIFF特別功労賞受賞記念~」が東京ミッドタウン日比谷のLEXUS MEETS...で行われた。この日の授与式に参加予定だったタル・ベーラ監督は体調不良のために来日がキャンセルとなったが、山田洋次監督と小田香監督、『PERFECT DAYS』の脚本を務めた高崎卓馬が出席した。
タル・ベーラ監督は、1994年に7時間越えの『サタンタンゴ』が第44回ベルリン国際映画祭フォーラム部門で独創的な作品に贈られるカリガリ賞を受賞。2000年に『ヴェルクマイスター・ハーモニー』が第53回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、11年『ニーチェの馬』で第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をダブル受賞。監督としては同作が最後の作品となり、以降はサラエボに映画学校を創設するなど後進の育成に取り組んでいる。なお『鉱 ARAGANE』『セノーテ』など、独自の映像スタイルで評価されている映像作家・小田香は、13年から16年にかけて、サラエボの映画学校film.factoryでタル・ベーラ監督に師事。この日の功労賞のトロフィーは、タル・ベーラ監督たっての希望により、小田監督に代理授与されることとなった。
司会を務めた市山尚三氏(本映画祭プログラミング・ディレクター)は、1995年の東京国際映画祭で『サタンタンゴ』を上映した時のエピソードを披露。同作が7時間半という上映時間であるために、金曜日の朝から夕方にかけて総客席数が700席以上あるシアターコクーンで上映する、というプログラムを組み、400人程の観客が来場したという。
「平日の昼の上映なのに400人以上来てくださった。半分以上埋まっていたんで、僕としてはよく来てくれたなと思っていたけど、ひとり怒っていたのがタル・ベーラさん。なんで東京にはこんなにも人がいるのに、客席はこんなにもガラガラなんだと。俺の映画は世界のどこに行ってもたいがい満員なのにと怒っていました。しかも翌日の土曜日にはシアターコクーンで香港映画を上映していたんですが、そちらには長い列ができていて。それを見て「I will kill you.」と言われました」と冗談めかして明かすと、会場は大笑い。
その話を笑顔で聞いていた小田監督が「先ほどは楽しい感じで、彼の傲慢さが紹介されていましたが……。もちろん市山さんはご存じかと思いますが、ものすごくあたたかくて、誠実で、チャーミングで、そしてとても強い人」と語ると、深くうなずいた市山氏。「film.factoryのわれわれ一期生は17人。いろんなところから集まりました。ベーラさんのことは尊敬していますが、おのおの違う人格があって。違う映画づくりをすることを大事にしてくれて。彼の映画のまねをすることがあれば、非常に厳しくしかられました。自分たちの言語を見つける時間にしなさい、というのは常々おっしゃっていました」と述懐する。
一方、いろいろな人から「山田監督とタル・ベーラ監督というのは意外な組み合わせ」と指摘されたことを明かした市山氏に、「そうだよね」と笑った山田監督。「僕は映画の作品をはじめる前に、みんなと一緒に参考になる映画を観るということをやっているんですよ。その時に選ぶのは、僕の映画とは一番遠い映画。たとえばタルコフスキーの映画なども観たわけですが、『東京家族』の撮影の時は『ニーチェの馬』を観ようということになって。全スタッフと一緒に試写室で観たわけです。スタッフもみんな感動して。こんな映画があるんだよと言ったら、みんなが深くうなずいていたことを覚えています」。そんなタル・ベーラ監督については、「『ニーチェの馬』で引退したということもあって、僕にとっては不思議な存在」だったという。
タル・ベーラ監督は、今年の2月に福島で行われたワークショップの講師をするために来日。その際に山田監督のたっての希望により、同所で対面することとなった。「ただそのときもかなり身体のコンディションが良くなくて。結局、早めに帰国されたので、ゆっくりお話しする機会がなかった。今度、東京に来る機会にお話しできたらと思っていたけど、また駄目になって。もしここにタル・ベーラさんがいらっしゃったら、彼の作品について、彼の人生について聞きたいことはいろいろとあったんです。もうひとつ、学校についても聞きたかったんです」と、film.factoryについて興味津々。日本人唯一の生徒である小田監督に、根掘り葉掘り質問していた。
「一応、ボスニアの私立の大学院に併設する形で、ベーラさんが大学の方とお話ししてできた学校なんですが。ただわれわれが到着したときは椅子も机もなかった。自分たちで椅子と机を運び込んだりして、少しずつ準備していきました」と振り返った小田監督。タル・ベーラ監督の役割に関しては、「彼の役割は大きくいうと3つあって。ひとつはわれわれ17人と毎日のように個人的な面談をして、あなたの映画づくりをどうするかと話し合うこと。そしてもうひとつはマスタークラス。『ニーチェの馬』とか『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観て、ショットごとに、どうやってショットができたのか、どうやって準備をしたのか、といったことをひとつずつ解説してもらいました。そして3つ目は、彼が信頼している映画監督や技術者、プロデューサーを2週間ごとに呼んできてワークショップを行いました」と説明する。
そのワークショップの講師には、ジム・ジャームッシュ、ガス・バン・サント、ティルダ・スウィントンらも呼ばれていたそうだが、市山氏も招待されたことがあったという。「予算がないと聞いていたので、狭いところに泊まるのかなと思ったら、ものすごい歴史がある高級ホテルの、ものすごく広いスイートルームに泊めてもらった。そこはもてなしだったんだなと思います」
「費用はどれくらいなの?」と質問する山田監督に対し、「われわれはお金がない集団なので学費を払っていなくて、学校が肩代わりしてくれていました。その後は経済的に難しくなってなくなったんですけど、わたしは日本から助成金をもらっていたので、払うことができました」と返答した小田監督。興味深い話の数々に、予定終了時間を超えてしまうほどに熱のこもったトークショーとなった。
第37回東京国際映画祭は、11月6日まで開催。