オドレイ・ディワン監督と湯山玲子
第37回東京国際映画祭のガラ・セレクションとして『
エマニュエル』が11月1日、丸の内ピカデリーで上映され、来日したオドレイ・ディワン監督が著述家、プロデューサー、おしゃべりカルチャーモンスターとして活躍する湯山玲子と対談した。
1974年に映画化作品が全世界を熱狂で包んだ官能文学の傑作『エマニエル夫人』を、『あのこと』でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したディワン監督が、新たな解釈で、舞台を現代に置き換え映画化。主人公は、オーナーからの査察依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながらその裏側を調べ始めるキャリアウーマンのエマニュエル。ホテル関係者や妖しげな宿泊客たちとの交流が、彼女を「禁断の快感」へと誘う――という物語。
“ませた東京の不良少女のつとめ”として、中学生時代に元祖『エマニエル夫人』(1974)をリアルタイムで観に行っていたと明かす湯山氏。「昔の『エマニエル夫人』は、女性の性、欲望の解放、官能性を描いていましたが、今、全世界的にネットやSNSで性的ファンタジーがオープンなってしまった時代にそれをどうやって語るのか――今作ではそこに興味があった。ディワン監督はそれに関して非常に周到な映画を作られて、驚きました。本当に好きな作品です」と伝える。
ディワン監督は、世界的ブームを巻き起こしたエロティック作品を現代の物語として描くことに、「過去のエマニエルとは、考え方をガラッと変えよう、逆にしよう、もっとフェミニスト的な物語にしようと思いました。しかし、考えれば考えるほど、もっと何か強いものがそこにあると感じたのです。今、いろんなものが世の中に氾濫しており、男も女も、お互いに触れたくない、そんな傾向があると思います。どんどん個人の殻にこもっていくように思えたんです。ですから、もっと相手と繋がりを持とう、そんな気持ちでこの映画を作りました」と説明する。
湯山氏は当初、本作『エマニュエル』が、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』のような、女性が考えるセックスファンタジーの集大成のような作品、もしくは村上龍の「イビサ」や「不思議の国のアリス」のように、「女性が様々な場所でいろんな人と体験し、解放されていく話だと思っていた」そうだが、それらとは全く異なる、登場人物たちの設定や物語のクライマックスに驚いたと明かす。
ディワン監督は「私が最初に言いたいのは、セックスをするにあたって、女性は愛という言葉にこだわらなくてもいい。ということ。(物語のカギとなる男性)ケイは、主人公が作り出したファンタジーでも、ゴーストでも良いかもしれません。この映画を通して、皆さんの会話が始まり、それぞれの解釈をしていただきたい」と述べる。
そして、主人公のエマニュエルが魅了される、謎めいた男ケイについての話題に。湯山氏は、現代社会の意識の変化から「男性が、男らしさを示すためのセックスができなくなった時代のリアルな姿」を持つキャラクターだと分析。劇中のエマニュエルの行動に触れ「今の時代の女性は待っているだけでは、いい男ともうセックスできないんじゃないか」とも語る。
湯山の言葉に同調しながら、ディワン監督は「主人公は欲求が壊れた状態にあり、実はケイも同じ状況にあります。ですから、2人は似た者同士という風に言うこともできるんです」。そして、「私が描きたかったのは、自分の快感や、感覚的なもの、体を通じての旅路です。ですので、セックスだけではなく、自分の欲望やファンタジー、他人と向き合う、繋がるということが目的になります。人間は寂しさを感じたときに、色々妄想すると思います。その時は、やはり人と繋がりたい思うのではないでしょうか。今の時代は本当にそれが欠けていると思います。ただセックスをしたい、それだけだと体も心も空っぽになっていまいます。主人公が、ケイという男性をもっと知りたいと思う、その欲望と繋がることを描きました」と解説した。
そのほか、今作で描かれるエロティシズムの表現が、日本の文化のようだと湯山氏が指摘したり、香港の高級ホテルを舞台とした理由、『燃ゆる女の肖像』で注目を集めた主演のノエミ・メルランについて、また、湯山氏が「全員いい男」と評する男性キャスト陣など、多岐にわたる話題で盛り上がった。
最後に、印象的なこの物語のラストについて、ディワン監督は「どうすれば正しく、効果的に撮れるかをずっと考えていました。ノエミは撮影中みんなを鼓舞するようにしていましたし、夜通し、何時間もかけての撮影でした。そして最後にノエミが、疲れて小声で何か囁いて、ニコッと笑ったのです。結局、そのカットを採用しました。何時間もかけて小さな花を掴んだような瞬間でした」と撮影を振り返った。『エマニュエル』は、25年1月10日よりTOHOシネマズ日比谷ほかで全国公開。
第37回東京国際映画祭は、11月6日まで開催。
オドレイ・ディワン監督と湯山玲子
第37回東京国際映画祭のガラ・セレクションとして『
エマニュエル』が11月1日、丸の内ピカデリーで上映され、来日したオドレイ・ディワン監督が著述家、プロデューサー、おしゃべりカルチャーモンスターとして活躍する湯山玲子と対談した。
1974年に映画化作品が全世界を熱狂で包んだ官能文学の傑作『エマニエル夫人』を、『あのこと』でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したディワン監督が、新たな解釈で、舞台を現代に置き換え映画化。主人公は、オーナーからの査察依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながらその裏側を調べ始めるキャリアウーマンのエマニュエル。ホテル関係者や妖しげな宿泊客たちとの交流が、彼女を「禁断の快感」へと誘う――という物語。
“ませた東京の不良少女のつとめ”として、中学生時代に元祖『エマニエル夫人』(1974)をリアルタイムで観に行っていたと明かす湯山氏。「昔の『エマニエル夫人』は、女性の性、欲望の解放、官能性を描いていましたが、今、全世界的にネットやSNSで性的ファンタジーがオープンなってしまった時代にそれをどうやって語るのか――今作ではそこに興味があった。ディワン監督はそれに関して非常に周到な映画を作られて、驚きました。本当に好きな作品です」と伝える。
ディワン監督は、世界的ブームを巻き起こしたエロティック作品を現代の物語として描くことに、「過去のエマニエルとは、考え方をガラッと変えよう、逆にしよう、もっとフェミニスト的な物語にしようと思いました。しかし、考えれば考えるほど、もっと何か強いものがそこにあると感じたのです。今、いろんなものが世の中に氾濫しており、男も女も、お互いに触れたくない、そんな傾向があると思います。どんどん個人の殻にこもっていくように思えたんです。ですから、もっと相手と繋がりを持とう、そんな気持ちでこの映画を作りました」と説明する。
湯山氏は当初、本作『エマニュエル』が、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』のような、女性が考えるセックスファンタジーの集大成のような作品、もしくは村上龍の「イビサ」や「不思議の国のアリス」のように、「女性が様々な場所でいろんな人と体験し、解放されていく話だと思っていた」そうだが、それらとは全く異なる、登場人物たちの設定や物語のクライマックスに驚いたと明かす。
ディワン監督は「私が最初に言いたいのは、セックスをするにあたって、女性は愛という言葉にこだわらなくてもいい。ということ。(物語のカギとなる男性)ケイは、主人公が作り出したファンタジーでも、ゴーストでも良いかもしれません。この映画を通して、皆さんの会話が始まり、それぞれの解釈をしていただきたい」と述べる。
そして、主人公のエマニュエルが魅了される、謎めいた男ケイについての話題に。湯山氏は、現代社会の意識の変化から「男性が、男らしさを示すためのセックスができなくなった時代のリアルな姿」を持つキャラクターだと分析。劇中のエマニュエルの行動に触れ「今の時代の女性は待っているだけでは、いい男ともうセックスできないんじゃないか」とも語る。
湯山の言葉に同調しながら、ディワン監督は「主人公は欲求が壊れた状態にあり、実はケイも同じ状況にあります。ですから、2人は似た者同士という風に言うこともできるんです」。そして、「私が描きたかったのは、自分の快感や、感覚的なもの、体を通じての旅路です。ですので、セックスだけではなく、自分の欲望やファンタジー、他人と向き合う、繋がるということが目的になります。人間は寂しさを感じたときに、色々妄想すると思います。その時は、やはり人と繋がりたい思うのではないでしょうか。今の時代は本当にそれが欠けていると思います。ただセックスをしたい、それだけだと体も心も空っぽになっていまいます。主人公が、ケイという男性をもっと知りたいと思う、その欲望と繋がることを描きました」と解説した。
そのほか、今作で描かれるエロティシズムの表現が、日本の文化のようだと湯山氏が指摘したり、香港の高級ホテルを舞台とした理由、『燃ゆる女の肖像』で注目を集めた主演のノエミ・メルランについて、また、湯山氏が「全員いい男」と評する男性キャスト陣など、多岐にわたる話題で盛り上がった。
最後に、印象的なこの物語のラストについて、ディワン監督は「どうすれば正しく、効果的に撮れるかをずっと考えていました。ノエミは撮影中みんなを鼓舞するようにしていましたし、夜通し、何時間もかけての撮影でした。そして最後にノエミが、疲れて小声で何か囁いて、ニコッと笑ったのです。結局、そのカットを採用しました。何時間もかけて小さな花を掴んだような瞬間でした」と撮影を振り返った。『エマニュエル』は、25年1月10日よりTOHOシネマズ日比谷ほかで全国公開。
第37回東京国際映画祭は、11月6日まで開催。