2024.11.19 [インタビュー]
TIFF Times 号外 サモ・ハン インタビュー

サモ・ハン

©2024 TIFF

 

取材構成 稲田隆紀(日本映画ペンクラブ)

 
これは2024年10月31日、浜松町のTIFFCOM会場で「Hong Kong Films @ Tokyo」が開かれた際、第2部「カンフー映画:過去、現在、そして未来」に登壇後のサモ・ハンを取材したものである。本イベントと翌日のTIFFマスタークラスに出席するため、香港映画界のレジェンドは7年振りに来日した。しかし映画祭開催会期中、TIFF Timesの紙面に掲載することができず、「号外」としてやむなくここに掲げる運びとなった。
 
俳優であり映画監督。武術指導の匠にして脚本・プロデュースも手掛けるサモ・ハンは、1952年1月7日生まれの72歳。10代の頃より中国戯劇学院で京劇の基礎を叩き込まれ、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウなどと共に「七小福」と呼ばれる子役エリートの一員として頭角を表し、映画界入り。やがてスタント、武術指導で注目を集め、1980年の『燃えよデブゴン 地獄の危機一髪』でアクション・スターの座を得た。以降、俳優、武術指導、監督として活動し、マスタークラスで上映した『おじいちゃんはデブゴン』(2016)などに監督・主演。俳優としても、『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(2024/第37回TIFF ガラ・セレクション上映)などで健在ぶりを発揮している。
 
 
──長年、香港アクションの立役者としてご活躍してこられました。キャリアを保つ秘訣はあるのでしょうか。
 
サモ・ハン:若い頃だろうが黄金期だろうが、私自身のやることに変わりはありません。今も昔も。目の前の映画をどう綺麗に撮ろうか、どういうストーリーにしてどういうアクションにしようか、アクションだったら、どう工夫すれば面白くなるのか。ずっと、どうしたら観客が喜ぶ映画になるのか、ということしか考えてきませんでした。
サモ・ハン
 
──それだけ考えて今に至ったわけですね。
 
サモ・ハン:天に授かった知恵と見る目があったればこそです。自分はラッキーです。天から恵まれた能力をもって観客に喜ばれる映画が撮れた。ただ努力はした。努力することは大事だと言いたいです。
 
──俳優、武術指導、監督の肩書きがありますがいちばん好きなお仕事は?
 
サモ・ハン:監督です。理由は簡単。監督は人じゃなくて神だから。全てを自分で決めることができて、思いのまま、やりたいようにできる。だから、監督が最もやりがいがあります。
 
──「七小福」時代にスタントや雑技を身につけた経験があるから、俳優として映画界に君臨できたのでしょうか。
 
サモ・ハン:そうではありません。京劇の学校で学んで、苦しい訓練を積んでいたから、アクションの素養はありました。でも映画俳優として、また監督として、映画を一本作るためには色んな経験が必要でしたし、他にも学ばないといけない事柄が山のようにありました。
例えば時代劇のカンフー映画を作るとして、清朝時代にはどんなことがあって、人々はどういうものの考え方をして、どういう動き方をするのか。もしこれが現代劇であれば、どういう喋り方をするのだろう。映画を作るには、そうしたことを全部考える必要があるわけで、これらの教養は後から身に付けました。学校で習い覚えたものだけで映画界でキャリアを築くことは、まずできませんよ。
サモ・ハン
 
──若い頃、サモさんが最も影響を受けた人は誰ですか。監督でも俳優でも結構です。
 
サモ・ハン:ブルース・リーです。自分たちが育ってきた時代、香港はまだ英国領(1997年、中国に返還)でしたので、中国人であることや中華民族であることへの自覚は薄っぺらでした。ところがブルース・リーが現れて、スクリーンを通して彼の人となりを見たときに初めて、自分たちは中国人なんだと悟り、そのことに誇りが持てるようになりました。アイデンティティーについて、ブルース・リーは教えてくれたのです。
 
──多くの監督たちとも仕事をされています。監督ではどなたでしょう。
 
サモ・ハン:ふたりいます。ショウ・ブラザーズにいた韓国人監督チョン・チャンファ(鄭昌和。1973年の作品『キング・ボクサー/ 大逆転』は世界的にヒットした初めてのカンフー映画として知られている)。もうひとりはキン・フーです。もうひとり、古い監督がいましたが名前を思い出せません(笑)。
サモ・ハン
 
──キン・フーの作品をみると、いわゆるアクションの映像的な誇張の面白さがあった気がします。武術指導や監督をなさっていて、自分でこれはうまくいったなと思う作品はありますか。
 
サモ・ハン:覚えてない…というのは冗談で(笑)。やっぱり、どの作品も自信をもって作っているから、これというのは挙げられないです。
 
──かつて香港映画は勢いがあって、今はそれほどないように思います。復活することは可能でしょうか。
 
サモ・ハン:自分も分からない。むしろ知りたいくらいです。昔は香港のアクション映画は世界中でウケたものです。でも今はそうでもない。観客の求める映画がアクションに向いているのか、それともほかに向いているのかでも違ってきます。復活できるか否か、私には分かりません。
 
──今後の活動を伺います。今も活動の場は香港ですか?
 
サモ・ハン:できれば香港で映画を撮りたいと思っています。主戦場は香港です。
 
──香港が変わっていきますが、昔を知っているサモさんはどんな思いがありますか。
 
サモ・ハン:いま香港の人は中国大陸に行って食事する人が多い。やっぱり香港は高いと。土地代が高いのでしょうがないのですが、それだったら大陸行って食べたほうが安いという人が多い。哀しいことです。
 
 

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