2024.11.15 [更新/お知らせ]
第37回東京国際映画祭「エシカル・フィルム賞」に『ダホメ』 齊藤工さんと学生らが白熱の審査会

第37回東京国際映画祭は2024年11月5日、創設2年目となる「エシカル・フィルム賞」に、西アフリカのベナン共和国にかつて存在したダホメ王国の植民地主義について描いたドキュメンタリー『ダホメ』を選び、表彰した。俳優で映画監督の齊藤工さんが審査委員長を務め、東京国際映画祭の学生応援団から選抜された佐々木湧人さん(筑波大学大学院1年)、縄井 琳さん(国際基督教大学大学院1年)、河野はなさん(慶應大学3年)の3人が審査委員としてそれぞれの作品を評価した。この記事では11月1日、都内で約1時間50分にわたって行われた審査会の要旨を紹介する。
 
エシカル・フィルム賞は映画を通じて環境、貧困、差別といった社会課題への意識や多様性への理解を広げることを目的として住友商事の協力で2023年に新設。映画祭にエントリーされた新作から「人や社会・環境を思いやる考え方・行動」というエシカルの理念に合致する優れた3作品がノミネートされた。3作品は以下の通り。
 
ダホメ』(ベナン/フランス/セネガル、監督:マティ・ディオップ、68分)
ダイレクト・アクション』(ドイツ/フランス、監督:ギヨーム・カイヨー、ベン・ラッセル、212分)
Flow』(ラトビア/フランス/ベルギー、監督:ギンツ・ジルバロディス、85分)
 
通常、映画祭の審査会は非公開で行われるが、「審査会自体もエシカルであるべき」という審査委員長の齊藤工さんの考えで、今回の審査会は公開されることを前提に実施された。
 
齊藤工さんと学生らが白熱の審査会

©2024 TIFF 「エシカル・フィルム賞」の審査会で議論をリードした齊藤工さん

 
ダイレクト・アクション「意思表明に揺さぶられた」
 
齊藤:賞の決め方はいろいろあると思います。ベスト3を出すとか、ポイント制にするとか、逆に一番注目を浴びなかった作品を肯定してゆくみたいなこともできるかなと思うのですが、審査の時間のこともあるので、まずはみなさんがグランプリだと思う作品を挙げていくことにしましょう。
 
まず、推薦作というか、自分の中でこれが1位じゃないかというものをそれぞれ言っていきましょうか。では、河野さんから。
 
河野:私は『ダイレクト・アクション』と『ダホメ』でいま迷っています。
 
『ダイレクト・アクション』は、長い尺の日常パートがすごく印象的でした。私たちと同じように誕生日をお祝いして、ピアスを開けて、冗談を言い合って…。そういう日常パートの映像が全体的に長かったからこそ、穏やかな生活のなかの最後のデモのパートが鮮烈に映りました。
 
生まれてから日本でデモを目にしたことも、体験したこともないからこそ、自分の中に眠っていた意思表示の権利が揺さぶられた気がします。
 
警察からガスがうちこまれる時に、女性が「もっと別のところを撮りなさいよ」と仰っていたと思うんですけど、それが「私たちは決して群れているわけではない。それぞれがそれぞれの意思表示をしている。」ことを意味しているようでした。「私たちは屈しない」「私たちの懸命な姿を全世界に映してほしい」という強い力を感じました。
 
昨今、環境活動家の方々の活動に対して賛否両論あふれる世の中だと思いますが、自分がすごくタイパ(タイムパフォーマンス)志向だと改めて意識させられました。「環境活動家」という肩書だけで括り、情報社会の流れに飲み込まれて、意見が全部人任せになっちゃっているのかなと。生活者の背景それぞれに目を向けて、自分の核となる意見を持つことが必要だなと考えさせられました。
 
齊藤工さんと学生らが白熱の審査会

審査委員を務めた、学生応援団河野はなさん(中央)と佐々木湧人さん

 
河野:映像の撮り方という観点からは、『ダホメ』の方がよりエシカル・フィルム賞にふさわしいのかなと思っています。今まで鑑賞してきたエシカルな映画は、自分じゃない誰かが目的に向けて行動していて、それを見て「ああ、すごいな」「こんな人たちがいるんだな」と思っていたけれど、結局それは傍観というか、人の努力ややっていることを、消費しているだけなのかなと思って。「すごいな」と思ってそこで考えるのをやめてしまっていたんです。
 
その点、この作品(『ダホメ』)は大学生が議論を交わすシーンが多かったんですけど、彼ら彼女らの意見はすごく様々で、宗教的だったり政治的だったりする意見も沢山あって、ぶつかり合っていました。でも結果、結論は出ていない、というところがすごく印象的でした。
 
もし自分がこの立場だったらとか、この舞台が日本だったらと考えた時に、文化財について政治についてこれほど議論できるかと問われても、出来ない気がしています。この結論を提示しない映像の作り方は、もしも自分だったら?と考える余白がありました。人の議論に満足して消費していないか、自分事として捉えられているか、気づかなかった自分の問題点を出していただいた。そういう点で、同世代の学生たちにも観てほしいと思いました。
 
ダホメ王国はフランスに侵略された過去がありながら、他のアフリカ地域に対して奴隷貿易で利益を上げていた。そこにも「何のために私たちは歴史を学ぶのか」という皮肉めいたものがあり、総合的に考えさせられる作品だったなと思いました。
 
齊藤:ありがとうございます。どちらかというとどっちが推しですか?
 
河野:うーん。どちらかというと…。個人的なエシカル・フィルム賞を選ぶ基準として、「学生目線」というか「学生としての自分にとって価値ある作品」を選びたいのもあり、より学生に観てほしい映画だとしたら『ダホメ』かなと思います。
 
『Flow』、言葉の壁ないアニメ「広い世代に届く」
 
佐々木:ぼくも2本で迷っています。ぼくは「エシカル」の「人や社会、環境を思いやる考え方や行動」という理念の「思いやる」という部分を特に大切にしたいと思っていて、そこを審査の基準にしました。もちろん3作品とも「思いやり」の要素は作品に出ていると思うんですけど、『ダイレクト・アクション』の場合は、環境を思いやる行動がデモというか、暴力的な手段に訴えてしまっているのが個人的には引っかかりました。
 
対話が難しいからこそ、暴力的手段に訴えなければならない時もあるし、歴史的にも革命とかは、暴力の歴史でもありますが、これまで暴力的な手段がずっと続いてきたからといって、その連鎖が途切れないことはないとも思っていて、どこかのタイミングで対話だったり、暴力ではない手段も必要だと考えています。『ダイレクト・アクション』の場合は、逆説的に暴力を前面に出した描き方をすることで、逆に対話の必要性を訴えているのかなと思ったんですが、ぼくは「思いやり」という観点だったら、『ダイレクト・アクション』以外の2本、『ダホメ』か『Flow』がいいかなと思いました。
 
それぞれに感じたことを説明していくと、『ダホメ』は議論が焦点の映画で、どこまでが自分たちの文化なのか、とすごく考えさせられました。もちろん、ダホメ王国にはフランスに植民地化された歴史はあるけれど、植民地化される前までは自分たちの母国の歴史なのかというと、その前まではまた別の国を奴隷貿易で侵略していたので、本当の母国の文化の定義は明確じゃないと思います。これは日本にも当てはまる部分があって、例えば日本だと和服だけが自分たちの文化なのかというと決してそういうわけではない。そういった、母国のアイデンティティを揺さぶられるところがたくさんあって、自分たちの文化というものを見つめ直すきっかけになる作品だと思いました。
 
そして、どの国も被害者と加害者の両方の側面の両方を持っていて、映画で描かれたダホメ王国はフランスからの被害者であり、別の国への加害者でもある。日本やいろんな国もそういう側面を持っていて、自分たちの国のいい面だけではなく、悪い面も含めて見つめ直す必要があるのだと示唆してくれる作品でした。
 
『Flow』に関しては、動物たちが洪水をきっかけに、お互いに徐々に連帯していく姿を描いていて、人のいない世界で動物たちがお互いに思いやる行動をとる姿を通して、今の人間社会が連帯できていない部分を実感させられました。そして動物たちの、与えられた環境に抗いながらも、順応していく姿からは、今の人間社会のように自分たちの都合で自然環境を変えるのではなく、ありのままに順応していくことの必要性を感じ、『Flow』という作品が僕の思うエシカルを最も直接、体現していると思いました。
 
また『Flow』は、再び洪水が起きる世界を示唆するような終わり方になっていて、その解釈を、きのう縄井さんと話していたのですが、そのような描き方をした理由として、僕は1回目の洪水で生まれた動物たちの連帯が、再び洪水が起きたときに、その連帯が果たして続くのかどうかということを問いかけているのではないかなと思いました。そして、それは動物たち次第でもあり、観る人次第でもあるかなと考えたので、敢えてオープンエンディングにしたのだと思いました。
 
広い世代にエシカルの理念を知ってもらいたいと考えたときには、個人的には『Flow』が一番直接的に描いているし、どの世代にも通用する作品かなと思いました。『ダホメ』は議論が多く、もしかすると見る人を選ぶ可能性もあるかもしれないので、個人的には『Flow』を推したいです。
 
齊藤工さんと学生らが白熱の審査会

作品の感想を語る、学生応援団縄井 琳さん(中央)

 
ダホメ「知らなかった声なき声を聞いた」
 
縄井:私は1つだけ、これじゃないかなと思ったのが『ダホメ』でした。理由は主に3つあります。1つ目は、自分たちが世界だと思っているものが、本当の全部の世界ではなく、欧米であったり、限られた世界であることに気がついたことです。
 
ニュースで主流を占めるのは欧米の意見が多くて、例えばG7(主要国首脳会議)にもアフリカや南米の国が入っていないじゃないですか。そういう意味で「世界」とは何かを考えさせられました。私はアフリカのことをこれほど知らなかったのかと思い、そういった面で新しい気づきを与えてくれるのはすごくいいなと思いました。
 
もう1つは、自分の中にある偏見に気づかされた点です。アフリカの学生が議論をしているシーンを見たときに、アフリカの学生がこんな論理的な議論ができるんだということに驚いてしまって。たぶんそれが、アメリカの学生だったらきっと驚かなかったと思います。
 
自分の中でアフリカの教育は遅れているとか、そういう偏見があったんじゃないかと気づきました。それ自体がエシカルというよりかは、自分の中にある価値観やものの見方がどういうものなのかを考えさせられる映画でした。
 
最後に、個人的には映画の力、映画の大きな役割に「声なき声を伝える」ということがあると思っています。3作品の中で、『ダホメ』が一番、自分が知らなかった声、これまで自分には届いてこなかった声が届いたと思いました。
 
「エシカル」には環境、人権などいろいろな「エシカル」があると思いますが、私は平等という考え方に最も重きをおいて考えています。みんなが同じ権利を持っていることを、私の中では重要視していて。そういう意味では『ダホメ』が最もふさわしい作品だと思います。
 
齊藤:ありがとうございます。いまのところ、『ダホメ』が有力ですね。ぼくは観た順番もある程度ものをいうのかなとも思っていて。『ダイレクト・アクション』を一番最初に午前中に観た。あの3時間半という時間が1つの基準になったんじゃないかな。
 
ぼくは正直、現時点では三等分でもあるなと改めて思っている。エシカルの基準ってそれぞれにあると思うけれど…。
 
ぼくはライフワークで移動映画館というのをやっているんですね。それは被災地とか避難所とかで映画館で映画を観たことがない子どもたちが大勢いるので、劇場体験をしてもらおうという試み。そんなイベントを10年ぐらいやっている。ぼくはそういう意味でも「子どもが観て(どうか)」という目線がついちゃっている。そういう意味でぼくは偏っているかもしれない。子どもに見やすいのは『Flow』だと思うんですよ。
 
いま、奥能登の夏の豪雨を体験している子どもたちと連絡を取り合っているんですけど、むしろ彼らに『Flow』を彼らに届けたらどうなるだろう。などとも考えた。ただただ希望というよりは、洪水、水害をある種描いている作品を届けたらどうなるか?個人としてはいろんなことがよぎった。一方、『ダイレクト・アクション』をじゃあ避難所とかで上映したらって思うと(それも難しい)…。ぼくも皆さんのお話を聞いて、総合的には『ダホメ』かもしれないと思いました。
 
遠いところに映画を届ける。映画は一部の人のものじゃないっていう時代になっていってほしいなかで「エシカル」という言葉、考えはとても大事かなと思うんです。同時に、皆さんが言うように議論しようというきっかけになるというのも、この3本のエシカルフィルムの特徴ですね。
 
鑑賞し終わった後に、いろんな話ができる3本だったので、どれも賞にふさわしいなと思う。いま3人のお話しを聞いたうえで、たぶんこの流れだと、『ダイレクト・アクション』は選ばれないかなという流れになっているので。『ダイレクト・アクション』について少し話ができたらなと思う。本当にこれが選ばれなくていいのかという側面から4人で会話できたらと思います。3時間半の映画って?インターミッション(中断)はあったけど。学生のみなさん、しんどくなかったですか?
 
佐々木:長さにやっぱり意味はあると思いました。別の作品にはなるんですが、水俣病の歴史を描いた原一男監督のドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』は6時間超えでした。あの映画の長さにも意味がありましたし、『ダイレクト・アクション』の場合も日常生活の場面をあえて長く描いたというのが大事で、だからこそ最後のシーンが鮮烈に映ったんだと思います。
 
齊藤:フリですよね。
 
佐々木:『ダイレクト・アクション』もフリとして、あえて前半の生活場面を長く描いたんだと思いますが、「エシカル・フィルム賞」という名前をつけて、たくさんの方に観ていただくことを考えた時に、あの長さはどうしてもネックになってしまうと思いました。
 
齊藤:映画に興味がある皆さんは、そこに意味をとらえようとしてくださると思う。
 
映像業界にも、ショート動画の流れが来ていて、長いものをみるということから離れている時代。だからこそ(『ダイレクト・アクション』は)すごく特徴的だったと思う。でも、人に勧めたいという側面だと、時間は内容と同じくらい大事。ただ、これを審査員みんなで1番目に観たことで、僕らの連帯感も生まれて、審査会のつながりをつくってくれたのも『ダイレクト・アクション』。そういう役割を果たしてくれた作品だったという思いもあります。
 
河野:映画の上映時間が大事だというのはすごく分かります。ただ、ショート動画に慣れきっている私たちの世代にとって、賞を授けることで『ダイレクト・アクション』が脚光を浴びることには意味があるとも思います。
 
縄井:もちろん『ダイレクト・アクション』の長さに意味があるのは理解しているけれど、長い作品を観ているのは正直つらかったです。『ダホメ』と『Flow』は友達に勧めましたが、『ダイレクト・アクション』の時間の長さに耐えられる人は、私の友達にはあまりいないと思います。その点で若い人にお勧めはできないと正直思います。
 
齊藤:ぼくは2019年にフランスに行って、パリのデモをみて、国民の意志表明に日常性を感じた。近所のファーストフード店の店員さんもその意味を理解している。その国民性がうらやましいなって思ったんです。正直、ここで『ダイレクト・アクション』を選ぶ「エシカル・フィルム賞」ってかっこいいなと思うんです。「えっ?これが選ばれたんだ」っていうね。
 
現代で言うと、上映時間って観客が自分のスマホから離れなきゃいけない時間。受発信もできない状態が続く。作品に襟首をつかまれて向き合わなきゃいけない時間ですよね。3時間半という長さはエシカルなのか?という思いもする。ぼくも3本観た中で、『ダイレクト・アクション』はグランプリではないなという気がしています。『ダイレクト・アクション』はグランプリではない、ということでいいですか。
 
佐々木、縄井、河野:はい。
 
齊藤:途中でもし気が変わったら、言ってください。ということは『ダホメ』と『Flow』の2本に絞られました。いまの流れだと、『ダホメ』が強い。
 
ぼくはセリフが無くて、だれでも観やすい『Flow』推しだったんですけど、女性2人は『Flow』を候補に挙げていなかった。『Flow』をどう思ったか、意見をうかがってもいいですか?
 
河野:個人的にはあまりよくわかりませんでした。大洪水から始まるのは「ノアの方舟」的なイメージでしょうか。動物たちが手を取り合い認め合って連帯していく姿は、人間を含めた生物の昔から変わらないあるべき姿であり、昨今の地球温暖化にも警鐘を鳴らしているようにも取れます。
 
ただ、猫が水面をのぞくシーンの解釈が自分のなかで定まらなかったり…。猫は水を恐れていないように見えて、水が自分自身で猫が水面を覗くのは「内省」なのかな、などといろいろな思いが湧いてきて…。エシカルのイメージはあるけれど、そこから特に何を発信しているのか私はくみ取れませんでした。そのもやもやがあるということは私があまりこの映画を理解しきれていないのかなと…。
 
縄井:『Flow』は一番楽しみにしていた作品でした。環境問題の作品だと思いましたが、それだけではなくて多様性の部分というのも打ち出されていると感じました。ちょっと比喩的な表現で、違う動物たちが、違う人種や違う文化を持った人々を表していて、壁を超えて打ち解け合っていく表現にも見えて、エシカルの理念にぴったりかなとも思いました。
 
河野さんがさっき、個人的にはわからなかったと言っていたけれど、それは解釈の余地がある裏返し。「あれってこういう意味だと私は思ったんだけど、どう思った?」という会話が生まれやすいという意味でもいいなと思いました。
 
けれど、映画を観たときの衝撃、自分が知らなかった世界を知れたインパクトは『ダホメ』の方が大きかったです。
 
齊藤:ありがとうございました。
 
佐々木:さきほど、齊藤さんがおっしゃったように、大雨の被害を受けた人が『Flow』を観たときにどう思うかと考えると、豪雨災害や津波を連想させるようなシーンは、映像のリアリティがあってきれいな分、より恐怖の対象でもあると感じました。
 
人間がコントロールできない水の恐怖を、水害の被害を受けた人が観たときに想起させてしまう可能性があります。僕は子どもたちでも観やすいかなと思って『Flow』を選んだんですけど、齊藤さんのお話を踏まえると、個人的にはそこがひっかかりました。エシカルの前に、そもそも観たくないという思いを喚起させてしまう気もして、そこがネックです。
 
ただ、『Flow』という作品には、人間は出てこないけど、船だったり、建物だったり、人間の文化の名残は描かれていて、今の社会は少し複雑化しすぎている気がしますが、人が作った文化の本質や大事なものの、シンプルな良さが描かれている点ではやはり『Flow』はいいなあと思いました。
 
齊藤:ぼくの意見も佐々木さんに近い。少し意地悪な見方をすると、『ダイレクト・アクション』と『ダホメ』は壮大なフリと、最後の議論。その議論で完結させているんだなという構成。一方、『Flow』は全部ロジカルですね。アニメーションは要らない部分は作らないし、言葉はないんだけど、作り手が伝えたいことが一貫していると感じました。
 
クジラの存在をどうとらえるかという部分はあるけど、ジブリの影響をすごく受けているんじゃないかなとも感じます。日本のアニメーションのバトンを握りしめてくれている気もした。作り手の角度からすると、最大のサビというか、オチを議論にした『ダイレクト・アクション』と『ダホメ』の2作品。一方、徹頭徹尾、これを伝えようとした『Flow』。作風の違いはあるなと。
 
ゴールが最初から決まっていたのが『Flow』で、一方、偶発性とロジカルを交互に持ちながら撮影していたのが、『ダイレクト・アクション』と『ダホメ』なのかなと思う。
 
齊藤:そもそもぼくは審査委員長だとは思っていない。3人のみなさんがどう感じたか知りたかったし、僕を除けば、奇数だし。4人で議論して決めるなら、ダホメでも『Flow』でもどっちでも納得いくなという思いはあります。
 
河野:齊藤さんが感じられた『Flow』の監督が伝えたかった思いとは何でしょうか?
 
齊藤:人類が最終局面にある。人間以外の生物、むしろ生態系のヒエラルキーの下にあった植物や虫が、人工的に造られた世界の尻ぬぐいをしている。そんな思いを感じた。人間が人間のためだけに作った電気だったり、原子力だったりするものに対して。地球にとって人間って不要な存在じゃないかというようなメッセージ。それは、前作のアウェイという作品を観て、確信した。人間がいなくなったとしても負の遺産はなくならない。
 
クジラの存在は、優しさでしかなかった。あのクジラが陸で苦しんでいるシーンが終盤にあって、そのクジラがいかに無力か。その時の水面に映る動物たちの表情が、監督が描きたかったポイントじゃないかとも感じました。
 
エンドロールの後に、同じクジラのようなものが海に戻っていった。その間に考えさせるというのが、監督が仕掛けた装置。クジラを海に戻した。普通に考えたら無理だと思えることを、自分たちができることで連帯すれば、クジラも死なせずに済んだと、エンドロール中に考えさせられたと思っている。ぼくの中ではこれもエシカルなのかなと思った。
 
猫にとって水は食べていくための餌をとる場所だったり、「外」の総称なのかな。とも感じた。可愛いアニメとして、水害を受けた人のトラウマがよみがえるというものではなかったし、むしろ水に対するトラウマを持っている方でもそれを癒す美しさがある作品だと思っています。
 
佐々木:『Flow』って映像が美しかったとか、面白かったとか、っていうようにあっさり観ようと思えばあっさり観れる。でも、例えば小さい時にみたアニメとか読んだ絵本って、大人になって振り返った時に、すごく示唆に富んでいたことに気づいて、あれってああいうことだったのかなと思い出すことがあったりします。『Flow』にもそういう力があると思っていて。セリフがなくて、動物たちの表情だけで展開するのは作り手のやさしさでもあるし、だからこそシンプルな気持ちが伝わりやすいのかなと思いました。
 
人間が環境にとってどういう存在かを考えたときに、もちろん害をもたらす存在でもあるけど、一方では文化や文明は豊かなものであるし、人間だからこそできたものがある。そういう意味では人間がいないからこそ、人間が地球に対してやってきたことの功罪を感じさせられた作品だと感じました。
 
齊藤:猫とか登場するキャラクターに人間味を感じますね。人間不在だからこそ、人間味を感じる作品。ある種、キャラクター性が割り振られている。
 
一番「飛距離」があるのがダホメ
 
佐々木:『ダホメ』に関しては縄井さんが言ったように「声なき声を届ける」ということは映画の良さでもあり、この作品が伝えたい部分だと思いました。声なき声に寄り添っているのはやはり『ダホメ』。そういったところでは、前作『アトランティックス』も踏まえると監督のメッセージとして一貫していると感じました。齊藤さんは『ダホメ』についてどう思いますか。
 
齊藤:映画を作る意味合いにはできるだけ遠くに届けるということが一つあると思う。いま、ここにある現実を遠くに届けるという意味で一番「飛距離」があるのが『ダホメ』かなと思う。ベナン共和国という国、アフリカの宗教観にも知識がない人間なので、最後の議論がものすごく衝撃的だった。
 
それはたぶんこの作品を観なかったら知らなかったし、知ろうともしなかった。そういったアフリカの若者のアイデンティティを受け取れたという価値は、実は3作品のなかで一番感じました。なので、さっき言った作り手の意図という部分では、監督が演出した部分ではない最終的な若者の議論、そこまでの声なき声への目線も面白かった。かなり総合力が強い映画だったなと思っています。
 
ただ一方で、前もって歴史的背景を知った上で観るというか、教科書的で、授業で観るという感覚を感じていました。それはいい悪いじゃなくて。ぼくは映画ってエンタメ性、映画って娯楽の枠のなかにあるもので、それを超えるべきではないのかなとどこかでは思っている。だから『ダホメ』はお客さんをかなり選ぶ。世界中の映画祭の基準っていうのは、映画的、社会的リテラシーがある前提で作られている。
 
「アフリカに対するイメージ変わった」
 
話は少しそれますが、ぼくはアフリカのマダガスカルに仕事の取材で行ったときに、マダガスカルの訪ねた地域には映画を観るという文化がなかった。そこで現地の子どもたちに映画を見せたい。と思ったけれど、いろんなアニメーションの海外での上映の権利はなかなか難しかったんですね。
 
なのでそこで、彼らとワークショップのように監督とか出演者とかヘアメイクとか、その時に持って行った機材にまつわるさまざまな職業を体験してもらって、みんなで作った映画を観る体験をさせてもらった。
 
子どもたちはいいスニーカーを吐いている子もいれば、はだしの子もいるような学校でしたが、映画体験をした子どもたちがそのあと「掃除をするようになった」と先生からお礼の連絡があったんです。日本人の撮影チームがお弁当を食べるときに、ごみを残さないでいるのを見ていて真似したというんです。彼らにとっては新しい出会いだったんだなと思う。
 
アフリカにおける映画の浸透は国によって違うけれど、映画は先進国の富裕層の娯楽なんだなと正直思ったんです。映画を受け止められる環境は、恵まれた状況の国のある限られた人に向けたエンタメなんだなと。アフリカで生まれるエンタメに対して、マダガスカルという島国であるけれど、そこに行った経験から勝手に思ってしまったこともあって、『ダホメ』を観てアフリカに対するイメージが変わった。
 
宗教に対してあんなにカジュアルに話せるんだとも驚いたし、『ダホメ』に関してはどの作品よりも「更新された」「一新された」感覚がある。映画がどれだけ遠くに届くのかの「飛距離」を価値観とするなら、その価値は高かった。ただ観る人を選ぶという点はある。観終わった後の捉え方、劇場を出る後味を考えると、『Flow』はもう少し広く世代、年齢層の間口は広い。でも、ぼくは「エシカル・フィルム賞」にどちらもふさわしいと思っている。
 
縄井:齊藤さんはその映画を誰に届けるかというときに、子どもとか、映画にアクセスできない人に届けるという想いがあると思います。一方私は、同世代に届けるのにどの作品がふさわしいかという軸で評価していました。皆さんが誰に届けたいと考えていたかお聞きしたいです。
 
河野:皆さんの議論を聞いていて、『ダホメ』は特に日本人に観てもらいたい、『Flow』は全世界の人に観てもらいたいという基準があるように思えました。東京国際映画祭に来て娯楽として映画を楽しむことのできる日本の方にまず『ダホメ』を観ていただいて、そこからエシカル・フィルム賞に興味を持っていただき、『ダイレクト・アクション』や『Flow』も鑑賞していただきたい。3本全てを是非観ていただきたいと考えた時に、きっかけとなる1本が『ダホメ』かなと思っています。
 
佐々木:『Flow』は映画館に行ったことのない、行くことの出来ない子どもたちにも観てもらいたい作品。純粋に娯楽として楽しめる映画でもあるし、エシカル・フィルム賞を授けることで、単なる娯楽作じゃないというメッセージにもなりうる。ぼくは学生にこだわらず、エシカル・フィルム賞を子どもたちを含めた広い世代に届けたいという思いがあります。映画祭のチケットサイトにも『Flow』は未就学児でも鑑賞できると記載があるので、そこにもそういう思いが込められているのではないかと思いました。
 
一方、『ダホメ』はヨーロッパの映画祭であるベルリン映画祭で最高賞を受賞していますが、東京国際映画祭として、エシカル・フィルム賞を与えることで「アフリカの作品がアジアの学生にも届いた」というメッセージになるかなと思いました。
 
齊藤:ぼくは今回、4人で審査するとなったときに、みんなの気に入ったものは何だろうと純粋に知りたかったし、それをただただ見守ろうと参加したんです。なんとなく今までの議論だと『ダホメ』が先頭にいるのかなと思う。それはそれでありだと思う。誰に届けるかという意味では、映画祭に来る人なのか、一般の人とか子どもたちまで広げちゃうと、基準がブレてしまうかもしれないとハッとした。どちらが選ばれても、胸をはれる。
 
ぼくはマダガスカルだけじゃなく、パラグアイでもこどもたちに映画を上映してきて思うのは、言葉の壁。そして時間。小学校低学年だと7分とか8分を超えると集中が途切れちゃう。それがないのがチャップリンとかサイレント映画。映画自体が共通言語になっている景色を観てきた人間としては、『Flow』の作り方というのは、「映画届け人」という側面からすると、全世界が対象の作品。言葉がないからこそ「言語」を感じる作品だった。作家性自体がすごくエシカルだった。
 
ただ、すそ野が広いということが僕らにとってどれだけ重要な要素なのか。
『ダホメ』をどうとらえるかという意識を持った方たちに、その人たちが一観客から『ダホメ』を育てていくかという視点も大事。佐々木さんがいうようにヨーロッパで評価されたものが、日本でも評価される意義は大きい。
 
ただでさえ、優れた選りすぐりの3作品だった。僕らは決勝戦だけをみればいいような立場だった。今の流れは『ダホメ』なのかな。
 
縄井:『Flow』は私たちが取り組んでいる中高生向けのワークショップで選んだ作品でもあり、割と誰でも楽しめるのかなと思い直しています。
 
映画を観ることになれてなかったり、社会派過ぎる映画に抵抗ある人もいると思います。『Flow』を観て作品について各々の解釈を議論する経験をすることで、『ダイレクト・アクション』だったり、『ダホメ』だったり映画ファンしか観ないような映画も観るきっかけが生まれるかもしれないとも思いました。ただ、東京国際映画祭でエシカル・フィルム賞を授けて、映画祭に来る人に「エシカルフィルム賞」として観てほしい作品はどちらかというと『ダホメ』かなと思います。
 
佐々木:『Flow』はエシカルフィルム賞という打ち出し方以外にも、色んな発信の仕方があると思いますし、ディズニーやジブリにも対抗していける力を持ったすごい作品だと思う。逆に『ダホメ』はエシカル・フィルム賞の名前と共に広めていくのに説得力があります。
 
齊藤工さんと学生らが白熱の審査会
審査委員を務めた4人。左から齊藤工さん、学生応援団 佐々木湧人さん(筑波大学大学院1年)、縄井 琳さん(国際基督教大学大学院1年)、河野はなさん(慶應大学3年)
 
齊藤:エシカル・フィルム賞は今年2回目ということで、今後も続いていってほしいですよね。2回目というのは東京国際映画祭のエシカル・フィルム賞のブランディングにおいても結構重要だと思う。ぼくらにもある種の責任感がある。
 
作品の優劣は本当に僅差だと思う。理由はほぼ出尽くしたと思う。改めて、酷ですけれど、個人としてはどちらがふさわしいか。伺ってもいいですか。かくいう自分は決めきれてないですけど、みなさんの話を聞いて『ダホメ』が優勢かなとは思うんですけど。
 
縄井:私は『ダホメ』です。東京国際映画祭に来るような方にまず届いてほしいのは『ダホメ』という観点です。
 
河野:さきほどの『Flow』の話を聞いていて、言語・セリフがないからこそそれぞれが自分の言語に変換し、色々な解釈や議論に繋げることが出来るなと勉強になりました。東京「国際」映画祭と「国際」という名前がついていることを思えば、日本だけでなく「世界に」という視点も重要だなと。ただ、その観点で考えると『ダホメ』を観られる層は限られるからこそ「エシカル・フィルム賞」を与えることでたくさんの方に観ていただける可能性も生まれる。『ダホメ』も『Flow』も…と迷っています。
 
齊藤:河野さんは最初、『Flow』を候補作に挙げていなかった。その変化が審査会の意義だと思うし、議論を通じて、それが変化していくこと自体もエシカルだと思う。それは『Flow』という作品の力だとも思う。
 
佐々木:ぼくは『Flow』です。言語の壁もない。東京国際映画祭が選ぶエシカル・フィルム賞ということを考えたときにこの作品が広がってほしいし、映画の娯楽性、映像の美しさという視点でも『Flow』の方が良いと思いました。
 
齊藤:どうしましょうかね。票数でいうと『ダホメ』が2票。『Flow』が1票。ただ、そんな単純なことではないと思っていますが。国際的には3作品とも評価されていて、何らかの賞を受賞している。『ダホメ』はベルリン映画祭で金熊賞を受賞した。3作品のなかで一番大きな賞を受賞していますね。
 
2回目のエシカル賞、どんなメッセージを届けるか
 
河野:どちらの作品も届けたいし、観ていただきたいです。届け方の議論だと埒が明かないので、今の社会情勢を考えた時にエシカル・フィルム賞として内容的に何を推すのか、今どんなメッセージを届けるのがいいのかという観点から考えることが大事だと思います。
 
佐々木:そういう意味で、2024年という時代性を考慮すると『ダホメ』かもしれない。逆に『Flow』は時を超えても観ることができる普遍的な作品だと思います。
 
縄井:『ダホメ』は支配していた側と支配された側から始まる問題。これはアフリカだけの問題ではなく日本にも共通する問題で、日本人も含めて、過去の問題にどうして現代の人が対処しないといけないのかという共通のメッセージがあると思います。
 
そういう意味では他人事ではないと思いますし、今の日本社会にこういう作品を見せるのは、考える良いきっかけになると思います。
 
齊藤:みなさんの意見を聞いて、最終的な答えにつながったのかなと思う。『ダホメ』という作品に出会うきっかけを創出する機会として、「エシカル・フィルム賞」はとても意義があるという風に思います。改めて審査員4人の意見をまとめると、2024年第37回東京国際映画祭エシカル・フィルム賞は『ダホメ』という作品になりました。
 
(一同拍手)
 
 

構成
Pen&Co.株式会社
原田 亜紀夫

 
→ エシカル・フィルム賞についてのページはコチラ

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